仕事や勉強のやる気が出ないのは病気ではなく当たり前のこと

働き方

やる気が出なくて、ぐうたらしてて、一日を無駄に過ごしてしまった…

誰だってこんな経験があるんじゃないでしょうか?

もちろん、僕もあります。

「やる気スイッチ」という言葉のせいかどうかわかりませんが、やる気という幻想に取りつかれている人が多いなあという印象があります。

かつての僕も、やる気のある状態が良くて、やる気のない状態が悪いみたいな考え方をしていて、自分で自分を苦しめていました。

そして、分かったことは「今の仕事が昔から憧れだった」とか「勉強超大好きです!」みたいな人を除けば、仕事や勉強のやる気が出ないのは、割と普通のことだということです。

この認識があると、必要以上に自分を責めなくてよくなります。

できれば仕事はしたくない

できれば楽したい

できれば面倒なことはやりたくない

できれば勉強はやりたくない

このように考えることは、人として普通の事なのですw

やる前にやる気を出すこと自体が無理

海馬/池谷裕二・糸井重里

めちゃくちゃ好きなことは、他のことを後回しにしてでもやりたいですよね?

ギターを弾くのが好きな人は、一刻も早く仕事を終わらせて晩御飯を食べて、ギターを弾く時間を確保しようとします。

「今度はどんな曲をコピーしようか?」

「このメーカーの弦に変えたらどうなるだろうか?」

そんなことを四六時中考えているんじゃないでしょうか?

これがやる前からやる気がある状態と言えます。

だから、「今の仕事がめちゃくちゃ好き」とか、資格マニアで資格取得が目的で、「資格の勉強やってるとあっという間に時間が過ぎるんです!」みたいな人以外は、やる前からやる気が出ることはありません。

だから「やる気を出すには、やり始めるしかない」という、元も子もない結論になってしまうんです。

始めるより、終わらせる方が実は難しい

ベイビーステップという言葉をご存じですか?

赤ちゃんがハイハイして、つかまり立ちして、最終的に二本足で歩けるようになる様を模した言葉なんですが、これは何にでも応用できます。

まずは、「しょうもない小さなことから始めようぜ!」ってことです。

僕もどうしてもやる気が出ない時は、これを利用します。

・毎日、本を手に取って1ページ開くだけ(読まなくてもいい)

・とりあえず音声を流してみる(真面目に聞かなくてもいい)

・とりあえず掃除道具を用意してみる(掃除しなくてもいい)

やる気が出なくても、”とりあえず”小さな小さな初めの一歩”だけ”やる。

上記の例で言うなら、本を手に取ってどこかのページを開く。

ページを開くまでが目的なので、目的達成~!!

そのままページを閉じてもよし、気が乗れば読んでもよし。

どちらに転んでも、目的は達成しているので自己嫌悪に陥る必要もありません。

物理の慣性の法則って覚えてますか?

物体は転がりだすと、そのまま惰性で転がり続けるみたいなやつ。

一番パワーが必要なのは、始めです。

車も加速する時が一番燃料を使います。

だからエコな運転をするためには、急な加減速をしない運転を心がけましょうって言われますよね?

動き出してしまえば、始めほどのパワーは必要ないのです。

で、動き出すためのパワーを最小限にとどめ、とりあえず動き出すきっかけを与えるのがベイビーステップというわけです。

動き出しさえすれば、こっちのもの(?)。

やってみればわかりますが、実は始めるより終わらせる方が難しいのです。

「本を1文字読めばOK」という自分ルールを作ったとして、1文字読んでピシャッと閉じて別のことをやり出す人がどれくらいいると思いますか?

10分くらいの学習系のYouTubeの動画を流して、「真面目に聞いてなくてもいいし、30秒経ったら消していい」というルールにしておいて、30秒でスッパリ辞められる人はどのくらいいるでしょうか?

ほとんどの人は、「せっかく開いたんだから」とか自分で納得する理由を探して、そのまま見続けてしまうのです。

これを利用しない手はありません。

もちろん始める時にもパワーはいります。

それ以上に終わらせる時の方がパワーを必要とするんですね。

転職経験者ならわかると思いますが、就職や転職よりも、退職の方が面倒なのです。

付き合い始めるよりも、別れる時の方が大変なのです。

結婚と離婚も一緒です。

始めるより、終わらせる方がなんだかんだ自分を納得させながら、ダラダラ引きずりがちではないですか?

人間の意志力なんてそんなもんです。

人間は楽をしたい生き物

人間は怠け者です。

当然僕も。

人は楽を求めるのです。

福岡から東京まで飛行機があるのに、よほどの理由がないと徒歩や自転車で行こうとはしませんよね?

小学校高学年、中学生になると自転車で移動できる範囲が広がり、強制されない限り歩かなくなります。

大学生になって原付に乗るようになると、徒歩10分のコンビニでも歩かなくなります。

車を持つようになると、それが顕著になります。

ほとんどの人は、便利で楽なものがあると、それに頼るようになるのです。

「徒歩30分圏内は歩こう」と自分で考えて独自のルール作りをしている人以外は、すべからくそうなるでしょう。

そう考えると、怠け者であることは当然のように思えてきます。

「人間は怠け者である」という前提で、自分の行動や生活を組み立てた方が、賢い選択といえるのではないでしょうか。

やる気がないのがダメなのではなく、それは当然で、やり始める仕掛けをどう組み込むかという方がよほど重要なのです。

まとめ

やる気は幻想です。

やる前からやる気満々なのは、自分が何を差し置いても、三度の飯や睡眠を忘れてでも没頭できるものだけでしょう。

そう考えると、僕たちの生活の中のほとんどは、やる気があるからやるという前提では成り立ちません。

いかに、『やる気がなくても淡々とこなすような工夫を取り入れるか』の方が重要だということがわかります。

やる気が必要だというなら、一家に家事が好きな人が1人はいないと家庭がまわらなくなります。

僕も週の半分くらいは料理を作りますが、やる気があるから作るのではなく、作らなければいけないから作るという状態です。

その中でいかに面白がるか、いかにゲーム的に取り組むか、いかに無駄を省き効率化するか、みたいな工夫をしているに過ぎません。

不安定な「やる気」というものに自分の人生を左右させてもいいのでしょうか?

それは自分の一生のうち、雨の日が多ければ不幸で、晴れの日が多ければ幸せと、自分では操作不可能などうにもならない現象によって、自分の人生が決まってしまうようなものなのではないでしょうか。

そんなの嫌ですよね?

誤解を招かないように言っておくと、何をやっても楽しく感じられないうつのような症状もあるので、その場合は心療内科や精神科を受診することをおすすめします。

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