いつも他人と比べてしまう。
他人と比べては落ち込む。
自分と他人は違う人間だと頭では分かっているのに…
この記事では他人と比べてしまう心理的原因と解決策をシェアしていこうと思います。
何かの分野で世界一じゃない限り人と比べていては、劣等感を感じるだけです。
クラスで一番でも、学校だと大したことない。
学校一番でも、地域だとそうでもない。
地域で一番でも県内では?
人と比べるという生き方は、範囲を広くしていくごとにどこかで劣等感を感じてしまう生き方なんです。
・他人と比べてしまう原因
・なぜ人と比べてしまうのか?
・他人と比べる相対評価と他人と比べない絶対評価
・どうしても比べてしまう時の対処法
他人と比べてしまう心理的原因
他人と比べてしまう原因を一言で表すと、今の自分に満足していないからだと思います。
今の自分に満足していないということは、向上心も生み出したり頑張るエネルギーにもなるので、悪い事じゃないんです。
ただ、他人と比べてしまう人は自分の理想像を持っているけど、現実とギャップがありすぎて苦しんでいる人たちが多いんです。
僕が周りの人を観察して感じた苦しみの原因は主に4つです。
勝ち負けだけを基準にしている
勝ち負けだけに執着すると、勝ったと思える時はいいですが、負けたと思うことが続くと、卑屈になったり劣等感を感じます。
勝ち負けだけを基準にしていると、仕事もデキるイケメンで長身、彼女も美人などどうしても勝てない相手に出くわした時、自分なんて生きている価値が無いんじゃないかと思うほど絶望します。
テストの点が良いと褒められて、点が悪いと怒られるという賞罰教育だったり、そういった親の元で育ったりしたらこの傾向は増すのかなと思います。
勉強ができると賢いとか、スポーツが出来たらカッコいいとか、常に周りに評価されることが当たり前の世界で生きてきた結果、なんでもかんでも
・勝ち=優れている
・負け=劣っている
と考えてしまいがちなんです。
嫉妬心が強い
自分の理想像を相手が持っていると羨ましく感じる。
自然な反応です。
ただ、羨んでも自分がそれを手に入れられるわけじゃないんです。
でも羨ましく思ってしまう。
隣の芝生は青く見えてしまうものです。
彼女がいない時は、彼女持ちを羨ましく思い、実際彼女が出来るとフリーの友達を見て、「あいつはお金と時間を全部自分に使えていいな~」とか思ってしまうもの何です。
承認欲求が強い
自分で自分の価値や存在を認められないと、他者承認に100%依存するようになります。
・他人に認めてもらいたい
・褒めてもらいたい
・わかってもらいたい
これらは全て承認欲求から来るものです。
普通に日常生活を送っていて人はなかなか褒めてくれるものじゃありません。
自分は頑張っているのに認められない、褒められない。
「でもなんであいつはサボってるのに…」とか。
「あいつばっかり気に入られて…」とか。
承認欲求が強すぎると、人との比較をしやすくなります。
自己肯定感が低い
承認欲求って自己承認と他者承認の2種類があると思うんです。
これは僕の感覚値ですが、自己肯定感の高い人は自己承認の比率が高くて、他者承認の比率が低いんです。
だから人の評価とか世間体とか気にせずに好きな事が出来るんですね。
わがままと言われることもあるんですが。
反対に、自己肯定感の低い人は自己承認の比率がかなり低くて、ほぼ100%を他者承認に頼っているんです。
先ほども言いましたが、普通に日常生活を送っていて人はなかなか褒めてくれるものじゃありません。
人は自分の長所より短所に目が行きやすいんです。
履歴書を書くときも短所はスラスラかけるのに、長所となると手が止まりませんか?
しかも短所の時には思ったまま書いてるのに、長所の時になると思いついたけど人と比べて「そうでもないな」とか「いや、誰でもあるか…」と思って却下してると1個も書けないみたいな。
理想像があることは素晴らしいことです。
「理想と現実のギャップを埋めていくために”今”何が出来るか?」という問いかけを自分にできると、自分のやるべきことに焦点が当たります。
他人のやっていることではなく、自分のやることに没頭して自分を高めていくことでしか自分の理想には近づけません。
他人と比べてしまうのはある意味仕方がない
他人と比べるなって急に言われたって、僕たちが通ってきた学校が人と比べまくる所なんで、他人と比べるクセを身につけていてもある意味仕方のない事なんですね。
テストをすれば順位がつき、100m走れば順位がつくといったことを小中高合わせて10年以上もやってきたんですから。
そんな世界にどっぷり浸かってたら、そういった考え方のクセがついても不思議ではありません。
だから、人と比べてしまう自分を嫌になってしまう時もあるかもしれませんが、あなただけの問題じゃないんですね。
そういった価値観を小さい頃から植え付けられてきたということに気づけば、捨てることも出来ます。
多くの人は、人と比べてしまっている自分に気づくこともありません。
だから、それに気づいているだけでも十分なんですよね。
他人と比べる相対評価と他人と比べない絶対評価
相対評価と絶対評価って聞いたことありますか?
学校生活に当てはめた時、相対評価だと「俺はA君より国語の点数が上だ」「俺はB君よりモテない」と、誰かと比べて自分はどうかという評価になります。
これが絶対評価だと、「俺は国語のテストは86点だった」「俺は今まで同じクラスの女子に告白された事が1回だけある」という事実ベースの評価になります。
相対評価は比べる対象が他人で、その人より上か下かという評価になります。
順位を決めたり部活のレギュラーやリレーメンバーを決めたりする時には比較対象があった方が決めやすいのは確かです。
しかし、相対評価ばかりで他人や自分を見ていると、どうしても優劣の関係で見てしまうようになるんです。
対して絶対評価は比べる対象がありません。
・5教科で400点を超えた
・100mを12秒台で走った
・英語が苦手だ
自分のプロフィールを作る時を思い出してみて下さい。
好きな事・・・釣り、ドライブ
とか書きますよね。
これは絶対評価なんです。
「A君の方が俺より釣り好きだから、俺は釣り好きじゃないよな?」
とは考えないですよね?
好きなものは好きって書くはずです。
人と比べてしまうのは、相対評価ばかりで考えているからです。
人は生まれた時からDNAが違うんです。
誕生日も違えば、得意不得意も違う。
本来比べられないものを、無理やり”同級生”とか”男女”とかわかりやすい枠組みに入れて比べようとしているんです。
自分も人も絶対評価で見れるようになると、人を優劣ではなくわりとありのままに見れるようになります。
どうしても他人と比べてしまう時の対処法
コツは判断しないこと。
善悪とか、優劣の判断をやめるだけ。
僕たちは何に対しても、すぐにどちらが良くてどちらが悪いかというのを決めなくてはいけないかのように考えがちです。
・浮気した方が圧倒的に悪い
・浮気した方も悪いんじゃない?
・英語が出来るから優秀
・語彙力が少ない俺は社会人としてダメだ
こういう判断をやめてみる。
言葉で言うのは簡単ですが、以前の僕もそうでしたが、他人と比べてしまう人の心は反応で瞬間的に判断しがちなので、最初は難しいかもしれません。
でも、訓練していけば判断せず事実だけを見れるようになります。
上記の例を判断せずに見ると、
・浮気した人
・浮気された人
・英語が出来る人
・語彙力が少ない俺
これに善悪の判断を入れると、どっちが悪いかという論争になったり、劣等感を感じたりします。
幸せな人たちは、自分も他人も絶対評価で見ています。
自分が楽しければ、人から何を言われたってかまわない。
自分が好きであれば、それでいい。
自分がオムライスが好きであれば、他人が「あんなのケチャップ食ってるようなもんじゃん」と言っていたって気にしない。
そんな感じです。
だから人と比べて一喜一憂したり、卑屈になったり落ち込んだりしないので、いつも上機嫌だったりメンタルが安定しているように見えるんですね。
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